一億円のぼうけんやろう
那須 孝幸
大平龍一は1982年生まれの30歳、金が好きだ。幼稚園の頃から早くも金の虜になり、金が絡めばいつでも胸が踊った。いつしか身の回りには自然と金が集まり、また自らも好んで求めた。ただこの場合、金といっても、金(カネ)ではなく金(ゴールド)の話題である。古来、なぜ人は金(ゴールド)に惹かれるのか。少年の興味は貴金属としての金(ゴールド)に留まらず、その色がもつ社会的・思想的背景にまで拡がり、のち作品制作にも反映されるようになった。
一億円の作品
舌の根も乾かぬうちだが、今度は金(カネ)の話。2009年8月、大平と私は猛暑のなか東京新橋の地下喫茶にいた。過去の作品について、金(ゴールド)の魅力について、そして鶴岡での展開について話し込むなか、開運の象徴として「五円玉」というキーワードが挙がった。お賽銭の主役でもある五円玉には、貨幣価値を超えた独特のアウラというか「ありがたさ」がある。
硬貨とは金属を鋳造した通貨を指すが、元来は金(ルビ:きん)や銀に由来する本位貨幣として規定され流通してきた。紙幣やクレジットカードなどとは違い、価値尺度が変動しにくい貴金属で貨幣を造ることで、法定価値と市場価値との差が調整されてきた背景がある。明治政府の発足直後は五円硬貨も金貨として製造されたが、現在の五円硬貨は銅と亜鉛による黄銅でできている。かく言う私は少年期、古銭蒐集を趣味としていた。現在流通する穴あき五円玉のうち、「五円」の文字が楷書体で書かれた旧バージョン(現在はゴシック体)に出会うと喜々として溜め込んだものだ。楷書体の五円硬貨は、終戦後の荒地から立ち上がり経済発展への期待と平和への願いを込めて1949年に発行された。
さて大平と私が「五円玉」に注目したのは、その意匠である。現在では「金(きん)」の代用とされる「金(カネ)」としての五円硬貨、その表面(おもてめん)は「産業」をテーマに、稲穂(農業)、水(水産業)、歯車(工業)の3つがモチーフとされている。日本海を有し庄内平野に位置する鶴岡は、いわずと知れた米処であり(農業)、漁業とともに豊かな地下水を誇り(水産業)、そしてこれらの資源を活かして精密機械やバイオテクノロジーの工場誘致(工業)を行っている。これら3要素を産業基盤として誇る現在の鶴岡に戦後日本の縮図を感じるとともに、鶴岡と「五円玉」との間に深い「ご縁」を感じた。
私たちは互いの財布から五円硬貨をテーブルに出し合い、まじまじと眺めた。表面(ルビ:おもてめん)に刻まれた稲穂が複数並ぶと、テーブルが田んぼに見えてきた。そうだ、この五円硬貨を会場の床一面に敷き詰めよう、黄金(こがね)色に実った稲穂がたなびく景色は収穫直前の広大な田園を、延々と拡がる水面(みなも)の先には日本海の水平線を、丸い歯車が無数にかみ合う様子は高度なテクノロジーを、否が応にも想起させるに違いない、きっと圧巻に違いない、おそらく庄内人に限らず日本中の人たちが涙腺をゆるめることだろう、ではそのためには何枚くらい必要だろうか。床面を構成する中身(コンテンツ)が「硬貨」であることを強烈に意識する量、たとえば金額にして一億円分ではどうか。つまり五円硬貨が2,000万枚だ。2,000万枚は20,000,000枚と書く。1枚の直径は22ミリメートルだから、縦5,000枚×横4,000枚に敷き詰めると110×88メートル、ということは、ほぼ1万平方メートル、まさに1ヘクタール。根拠はないがキリがいい。しかも重さは何と75トン。1枚わずか3.75グラムの硬貨とはいえ、集積された結果は凄まじい、これは圧巻だ。さすが一億円である。この際、二人にとって会場の広さとか床の耐荷重とか、ましてや一億円の入手方法とかは全く眼中になかった。
テーブルの上に乗ったわずか数枚の五円硬貨の先に、二人は膨大な量の金(カネ)が金(ゴールド)に輝く光景を見つめていた。頭のなかでは、すでにプロジェクトが実現され、もはや達成感すらあった。圧巻だった。実際には、二人とも一億はおろか百万円の札束も見たことはなかった。私たちは興奮気味に固く握手を交わして喫茶店を去った。
第一印象と仕事
その後、大平と打ち合わせを重ねた末、年内には企画を立ち上げ翌年、翌々年のワークショップを経て、その成果を2012年の新作により公開する計画が立てられた。そもそも彼を知ったのは、鶴岡アートフォーラムで毎年実践している「市民交流プログラム」への招聘作家候補としてであった。市民と現代作家との交流に主眼を置くこの長期プロジェクトは、市民サポーターや一般参加者とともに複数年にわたる共同制作や公開を通じて、地域に根ざした美術活動の定着を目的とするものだ。
大平と接触する直接のきっかけは2009年5月、知人の紹介により訪れた。前年に彼が発表した《セミシグレ》という作品名が、鶴岡ゆかりの時代小説家・藤沢周平の著作『蝉しぐれ』と共通することを知り、東京銀座で待ち合わせた。当時の彼は東京藝術大学に在学中で、木彫刻を学び修士号を得て博士課程に移ったばかりの頃だった。すでに作家活動を積極的に始めていた彼だが、東京画廊で作品が取り上げられたこと以外、予備知識はほとんどなかった。初夏の昼下がり、金(ゴールド)の眼鏡とボールペン、そして両手首の腕時計が眩しかった。
2005年頃より、大平は精巧な彫刻技術を活かし身近なモチーフを原寸大で彫る行為を続けてきた。見慣れた道具の姿を通じて、目には見えない「何らかの存在」を前提とする世界、見えてはいないが「その先」を感じさせる世界の実現を目指してきた。その観点で選ばれたモチーフが、たとえば行く先を拒むベルトパーティションであり、中身が見えない木箱であり、作品を置くべき台座であり、人が過ごすための畳であり、警備用の監視カメラであった。すべてが木彫刻で精密に再現された「偽物(フェイク)」たちは、可視世界の信用性を揺るがし、現実の曖昧さを露呈する。可視化し得ぬ何ものかへの畏敬の念がそこに垣間みえる。
見えない世界への執着。そのことに関連して彼は、金色とは本体がもつ色ではなく周囲の光を映しこむことで輝く、という特性に触れている。金(ゴールド)という色はない、次第にその意識が高まり転機となった作品に、前述の《セミシグレ》がある。これは2,000匹を超える石膏型のセミが金箔で覆われ民家の外塀に整然と並ぶインスタレーション。大平はセミというモチーフを通じ、樹木の合間に潜んでいながら大きな鳴音で存在感を示す生き方に自作のコンセプトを重ねる。私たちがセミを認識するのは、その姿よりも圧倒的に音を感じたときだ。大平はセミの個体を金色にあしらうことで昆虫としての姿を強調し、同時に昆虫という現れからの昇華を図る。その意味で、彼にとっての「金(ルビ:ゴールド)」は、アニミズムに通じる。富裕や権力の象徴という俗世の価値観を飛び越え、凌駕し、人智が決して到達し得ぬ地平を諭す、いわばアナザー・ワールドを感じるためのツールである。神格化ともいえるトランス行為によって求める新境地を、大平は「秘境」という言葉で語る。この時期、大平はセミを用いた作品をいくつか残しているが、その最初期に制作された《セミシグレ》は、無数の金(ゴールド)により構成される点、そしてセミの集合が爆音(サウンド)を想起させる点において、このあとに触れる最新作に通じるものがある。
黄金の滝
あれから月日が経ち、山形どころか東北にさえ縁も所縁もなかった大平が、足かけ4年にわたる地道なフィールドワークを続け、この夏、鶴岡で個展を開催する。ほぼ全ての旧作が展示されるとともに、市民とのワークショップで共同制作された成果は《ツルオカミサマ》として結実される。
さらに、喫茶店での妄想が現実のプロジェクトとして着手されると聞き、大平の実行力に恐れいった。地元鶴岡に本社を置く荘内銀行の全面的な協力を得て、<一億円計画>の試作(プロトタイプ)を計画しているという。会場では4並びの44万4,444枚、二百万円分を超える五円硬貨が滝となり、4メートルの山から流れ落ちる。山の見立ては会場下見の際、霊峰・出羽三山のひとつ、羽黒山を登ったときに感じた神秘性に起因するそうだ。五円だけに5並びにはならなかったのかと思うことなかれ、少なくとも、私たちが金(カネ)に抱いてきた煩悩を一蹴するような圧倒感があるはずだ。1.5トンを超える黄金(ゴールド)の滝は、どのような輝きを発するのか、どのような爆音(サウンド)を奏でるのか。おのずと期待が高まる。早く拝観したい。スタッフもさぞかし大変だろう。
大平龍一がさまざまなかたちで鶴岡を体感し、さまざまなかたちで鶴岡を体現する、これこそ市民交流プログラムの醍醐味である。現地での成功を祈るとともに、この個展が今後の彼の展開にどのような意味をもっていくのか、注目を続けるつもりだ。もちろん<一億円計画>の明るい未来も念じつつ、(金銭面(カネ)以外で)応援したい。
2012年6月
なす たかゆき(北九州市立美術館学芸係長/前・鶴岡アートフォーラム副館長)