Semishigure
セミシグレ
Semishigure セミシグレ
2008年から毎年夏に「続・続」展という展覧会を上野は谷中、芸大のすぐ裏手にある市田邸[1]という古民家で開催している。この古民家は2010年現在、築103年の建物で文化財として登録されている建物である。築100年くらい田舎ではさほど珍しくはないが、東京の都心でこういった建物が残る事は難しい。特に税制の問題で相続する際にマンションなどに立て替えられたり、駐車場になってしまうのがよく見られる。この古民家の隣にある家もまた更地となり、7億円という価格をつけられた後、現在はコインパーキングになっている。大きな通り沿いの家はみなこうしてコインパーキングやマンションになり、どこも同じ様な風景になっている。「続・続」展という展覧会はこの家を中心に、古いものと新しいもの両方にゾクゾクするものがあるというコンセプトで立ち上げたものだ。大型ショッピングセンターや海外ブランドなど新しいものにゾクゾクすること、そして古民家や古道具、古い技術などにゾクゾクする気持ちその両方があったら我々の世界はもっと楽しくなると。アンチフラットの精神がこの展覧会のコンセプトだ。
[1] 『市田邸』上野桜木、明治40年に布問屋によって建てられる。NPO法人「たいとう歴史都市研究会」が管理。
作品《セミシグレ》はこの「続・続」展の為に制作した作品である。古民家の壁面にびっしりと敷き詰められたものは金色の蝉である。蝉は古来より「もののあわれ」の象徴として和歌などに詠まれて来た。長年この地にありながらあっさりと駐車場になってしまう建物たち。この蝉たちはそんな建物達の無常観を表現する。しかしこの作品はこの建物に注目を浴びせるようにとの想いから制作した。より多くの人にこの家の魅力と「続・続」展のコンセプトを伝える為にまずは足を止めてもらう必要があった。この家がこうして残って来たのは外からはほとんど家が見えない大きな塀のせいもあった。しかし家の存在感を示すには邪魔でもある。この塀がむしろ外の人を呼び込むような塀になればと思った。その為には通った人がギョッとする異形のある風景にしなければいけないと考えた。こうして壁一面に金色の蝉を敷き詰めるに至った。実際に鳴き声は聴こえないが金色の蝉が空間に生むリズムは街の喧噪へ響いてゆく。そのリズムはこの蝉がどのくらいの数ここにいるのか観るものが感じ脳がカウントをする準備をした時点で始まる。黄金のベースラインに金色の蝉が刻むリズム、人々に響くリズムはどのようなものだろうか。写真家の杉本博司は京都の蓮華王院、三十三間堂の観音立像たちを収めた写真作品に《Sea of Buddha》というタイトルをつけている。まさしくその連続し寄せて来る様は海なのである。そして金色に輝く海は太陽に照らされる海の姿を思わせる物である。セミシグレもまた夏の太陽に照らされ出て来る蝉たちが作る生と死のリズムが作り出す一つの海なのかもしれない。展覧会中、蝉たちは多くの人の足を止めた。蝉で足を止め家の中へ入る人、蝉を写真に収める人、蝉に手を合わせるおばあさん。また会期中は金蝉を販売し、その一部を市田邸の保存に活用した。そして次の年の「続・続・続」展では蝉の神様の出現となる。
[Semishigure]セミシグレ
2008
木、石膏、塗料サイズ可変
wood,praster,paint /4,444 cicadas
1200x165x70cm
市田邸
Ensou Semishigure
エンソウセミシグレ
Ensou Semishigure エンソウセミシグレ
セミシグレが青山SPIRALに登場。
888匹の蝉で円相を描く。蝉曼荼羅。
金色の蝉で埋められた円という単純なシンボル。
子供が観ても大人が観ても、そこに各々何かを観る。
円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。
「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。
悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。
また、円窓と書いて「己の心をうつす窓」という意味で用いられることもある。
心性の完全円満を表す。